行動力

query_builder 2024/02/03
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先日誕生日を迎え、私も41歳になりました。


患者様からすれば自分の半分も生きてない小僧ですので、『若いね~。40、50代はバリバリやろ!!』


と、よく声を掛けて頂きますが…


数えで男性の42歳は本厄のようでして、今年も年始めから色々とありましたね。


能登半島地震に始まり、羽田空港の飛行機事故に私が住む北九州の鳥町食堂街の大規模火災等、この1年も大変な1年になりそうな気しかしません。


でも私が一番心掛けている事は、自分の出来る事を全力でやってそうなったのならそれが自分の運命だと思うし、明日死んでも仕方ないと受け入れれるような生き方をしようと心掛けています。


勿論、災害に遭われた方は本当に大変でしょうし、命を落とされた方のご冥福を心からお祈り致します。


が、俺は生きている訳で、今日も明日もやってくる訳で、自分が今一番何をしたいのか、何をしなければいけないのかを考え生きている次第です。


一番上の写真は今から14年前ぐらいになるのかな?


当時私はプロボクサーとして明日のチャンピオンを目指し活動していた頃の写真です。


プロボクサーと言えば響きは良いですが、それだけでご飯が食べれる人間はほんの一握りで、日本チャンピオンでもアルバイトをしている人なんかザラにある、厳しい世界です。


昨年末に2階級で4団体チャンピオンに輝いた井上尚弥選手のアンダーカードで行われた日本タイトルマッチに出場していた選手が、4度のダウンを喫しながらも最後まで勝つ為に立ち上がり、死闘を繰り広げた試合は2023年度の年間最高試合に選出される程の素晴らしい試合でしたが、その判定で敗れた選手は試合後緊急搬送され、急性硬膜下血腫により開頭手術を行うも、そのまま意識が回復する事なく本日息を引き取ったようです。


その記事に興味がある方はこちらから→穴口一輝選手死去


そんな厳しい世界に居た私からすると、死ぬほど努力したと言う様な言葉を耳にするが、あなたは死んでないやん!

と、思ってしまうし、


給料安いんで辞めますと聞くと、自分が収入を上げる為の努力をしてないだけやん!!

と、思ってしまいます。


当時の私はボクシングに打ち込む為に朝6時に起きてロードワークを行い、近くのパチンコ屋さんで夕方迄アルバイトをし、夕方からボクシングジムに行って練習を行っていました。


その時働いていたパチンコ屋の名前がフェイスでしたので、フェイスのビックフェイスとしてリングネームを本名の田原淳二から変えたのです。


『あいつはふざけている。』


とか、


『試合に勝てんけ笑いに走った。』


とか、当時は散々言われた気がします。


ただ、私には戦略があった。


フェイスで勤務している以上これを味方に付けない手は無いと。


他の社員さん含めパートのおばちゃん達も皆ボクサーとしての私を応援してくれ、ボクシングの試合優先のシフトも自分で決めたり、かなり優遇されていたと思う。


そして、西部日本フライ級タイトルマッチに出場する試合が決まった時に、当然パチンコ屋の店内には試合のポスターを貼って宣伝してもらったし、当時の店長を試合にご招待し、観戦に来てもらった。


で、その試合はめでたく判定勝ちし、私は西部日本フライ級の新チャンピオンとなり、フェイスのビックフェイスがパチンコ屋のイベントとなったのが、一番上の写真迄遡ります。


※西部日本とは、九州中国地方のプロ加盟しているジムの中の事で、ローカルチャンピオンで大したことはありませんので。


が、私が勤務する店内は賑わっており、パチンコを打ちにくる常連さんも試合のチケットを買って応援に来てくれていたのも良い思い出です。


当時のファイトマネーは8万円で、しかも額面4千円のチケットを20枚渡されるのが田舎のジムの在り方でした。


痛い思いしてキツイ思いして、それこそ死ぬかもしれない世界に居た私からすると、あなたは給料8万円より安い?大勢の人が見てる中で鍛えられたプロボクサーに殴られた事ある?それ以上の死ぬ思いってどんなんなん??


と、思ってしまうんですよね。


そんなボクサー時代を過ごし、度重なる怪我でボロボロでしたが、自分が頑張った証として日本チャンピオンを目指しており、その為に挑戦権のある日本上位ランカーに敵地で2度続けて挑むも返り討ちにあい、ボクサーとしての自分の限界を知り、引退を考えたのが2011年の5月。


ただ、何も出し切れてないままボクシング生活を終わりたく無かったので、私の現役最後の試合は地元で7月に行われました。



2011年は3月に東日本大震災が発生し、私もこの被災地に何かを届けたい!自分が頑張って来たボクシングの世界で、今迄応援してくれた方に何かを届けたいと思ってこの試合に臨みました。



結果は判定負けでしたが、勝っても負けてもこの試合がプロでする最後の試合と決めていたので、今迄以上に気持ちの籠った試合を魅せる事ができたと思います。


この試合で引退し、次に続く若者達の為に動こうと決意していた私は、復興支援の為に自腹で携帯電話のストラップを製作し、それを試合会場で販売し、その売り上げを全額北九州市を通じて被災地への義援金として送らせて頂きました。



ただでさえ安いファイトマネーなのになぜ?


なぜストラップ??


なぜ北九州市長に???


の伏線回収は簡単な事で、私1人がファイトマネーを義援金で送った所でそれ迄ですが、この試合の興行に足を運んでくれたお客さんが何かを感じ、お金を払ってくれた事。


※当時はスマホはまだまだ普及してなく、携帯ストラップは需要があり手頃な価格でお求めやすい物でした。


そのお金を北九州市を通じて義援金として送ったのも、北九州市でプロボクシングの試合が行われ、青少年育成も目標に試合が行われていると共に、この興行に足を運んだお客さんがお金を払い、皆で義援金に充てた意義を唱え、以降私が所属していたこのジムが主催する興行は、共催に北九州市が付き、市が管轄する施設で行われる全ての会場使用料が半額になると云う大仕事をやってのけたのです!!


当時試合を見てくれていたこの子達が現役のプロキックボクサーとプロボクサーとしてチャンピオン目指して頑張っていると聞くと感慨深い物があります↓



この2人の紹介はこちらから↓

後半へ続く

BICBOSS


更にもう一人は、私が現役を引退し、指導者になった時の教え子で、彼もプロボクシングを引退後治療家の道を志した事から、私が修行する所で一緒に修行しないかと誘い、現在は自分で整骨院を開いた経営者としても後輩であります。


当時の彼の紹介はこちら↓

選手ファースト


結局何が言いたいかと言うと…


自分の人生自分次第だし、自分の行動で道は開けるのではないでしょうか?


有難い事に鍼灸訪問マッサージ心蓮では、私達の様なサービスが必要な方の依頼を多く頂けますが、施術者に対して患者様が殺到しておりますので、新規スタッフを募集しております。


私達と一緒に働きたいと思ってくれる方のご応募お待ちしております。


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鍼灸訪問マッサージ心蓮 田原淳二